The Casa BRUTUS Andy Warhol issue is on the stands. The cover will grab your attention, but what leaves a lasting impression is the depth to which all involved went to portray the life and career of this master of media, whose art interpreted the history of his time clearly and brilliantly. What the magazine shows is that Andy Warhol was always there in Japan, in some form or another. His influence was felt and understood and interpreted in a way that became so familiar, we might have lost sight of its creator.
文化はしぶとさから生まれる、と改めて思った取材でした。
宣伝です。
いま発売中の『カーサ・ブルータス』アンディ・ウォーホル特集で
ピッツバーグのウォーホル美術館取材や
「ウォーホルの名作秘話」の原稿、コーディネートなどを担当してます。
以下、誌面では書かなかった事などを。
故郷ピッツバーグはかつて炭鉱で栄えたものの
現在では時代の流れに押し流され、寂れた町。
東欧からの労働移民を両親に持つウォーホルは
活発な兄2人の下でお絵かきばかりしている
極度に病弱な少年でした。
幼少時にかかった病気の後遺症で、
顔や全身に大きな赤あざの目立つ
とにかく内気な子だったとか。
この末っ子を溺愛していた母親は
絵の才能を最初から見抜いており、
日々、その芽を育むのに労を惜しまず
無い金をはたいては絵画教室に通わせました。
父親が出稼ぎ先で急逝したのは
アンディが14才の時。
彼ら労働者たちが
飯場で飲料水にしていたわき水にあたり、
命を落としたのだそうです。
両親とも、英語もろくすっぽできず
だからこそ、未来に託した物は大きかった。
父親は臨終の間際に、アンディの長兄へこう言い残します:
「アメリカに税金をちゃんと納めること。
そして、この金でアンディを大学へ進学させること。
あの子には才能がある」。
渡されたのは一家の全財産である1,500ドルの国債でした。
キャンベルスープとかマリリンとか、
あるいはTDKのCMに出ていたなーとか、
ストーンズやヴェルヴェッツのアルバムジャケットを
デザインしていたな、とか
そんな認識だと思います。
最後はバスキアとなんかやってたなーとか。
でも、実はうんと深いところにも
作品を通じて向き合っていたこと。
そして、そうしたシリーズに
今や一点100億円という価値が付けられていること。
魂に響く芸術が
個人的なコンプレックスを抱えた
非抑圧者から生み出されるというのは
きのう今日始まったことではありませんが…。
いま私たちが浸かっている大衆カルチャーの多くは
ウォーホルがオリジネーターといっても
過言じゃなかったりします。
彼が40年も前に先鞭を付けていたアレコレを
カーサがつぶさに検証しました。
ぜひご覧下さい。
表紙はきゃりーぱみゅぱみゅ。
ウォーホル美術館の館長が、
「今ウォーホルが生きていたら、絶対きゃりーに夢中になっていたでしょう」と
熱く語ってくれました。←きゃりーファン米人男子なのです(笑)
St. John Chrysostom Byzantine Catholic Church (Pittsburgh),
where Andy Warhol spent endless hours with his mother and brothers as a child.
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